沖縄からスタートした現場主導の取り組みは、全国までは行かないまでも16の事業所で取り入れられ、
その職場独自の進化や特色を出しながら進んでいきました。
もっと、もっと展開したい!という気持ちだけが先走ってしまい、組織を無視して突っ走ったことが
メンバー内の人間関係に亀裂が発生していました。
振り返って考えてみると私の無鉄砲さはやりすぎだったと反省しますが、
その時は会社のため、チームのために頑張っているのになぜ足を引っ張られるのか?と反発ばかりしていました。
なんとも成熟していない子供のような対応でした。
頑張れば頑張るほど、組織内の亀裂は大きくなる一方で修復することもできず、
私は組織の力に押されてしまい挫折を味わうようになりました。
良いこと、正しいことをやっていれば正当化させると思っていた私のエゴでした。
良いこと、正しいことを進めるには、その重要性を理解してもらうことが必要ですし、上司や同僚の協力も必要になります。
そんな当たり前のこともわからず、ただ勢いで進む私の行動は、やっている内容以前に組織人としてダメだというレッテルを貼られました。
それを無視した私は徐々に組織内で浮いた存在になっていきます。
同じ志で取り組んでいたメンバーとも気まずい関係になり私は孤立していきました。
これらを受け入れることは、私のやってきたことを否定することだと思うとなかなか素直に認めることができませんでした。
問題から逃げるように東京へ・・・
私は、自分の目的ややるべきことを見失い、仕事に行くのが苦痛になってきました。
客観的に考えると私の行ってきたことは、良い所もあり、欠点もあったので今後、修正していけば私の成長にもつながります。
それを認めずに自分の正当性を主張するだけでは成長することはありません。
大きな視点でモノゴトを見られず、近視眼でモノゴトを見てしまうと問題は解決には至らないものです。
私は、クモの糸にからまった虫がもがき苦しむように、問題の渦中でジタバタしていました。
その問題から逃れるために東京に勉強に行く決心をしたのでした。
この挫折が、その後の私の研修スタイルや目線を変えるきっかけになりました。
今回はここまで